サイトと作者
このサイトについて
◆このサイトは平成16年6月に公開したサイト『隻手の小音声』を、改定したものです。
もし脳卒中になったらどうなるか?最悪の場合はお葬式。強運の持ち主ならば、三ヶ月足らずで職場に戻れます。ニキトの場合は、三年以上経ったのに左の手脚が不自由で未だに社会復帰していません。
 これまでに親戚、友人、知人をはじめ医療・福祉関係者には並々ならぬお世話になりました。しかし、その過程でいわれなき不当な扱いを受けたのも事実です。それも隠さずに載せます。
 「歴史にイフ(if)はない」はニキトの人生にも当てはまります。しかし発病から今日まで「もしあの時こうしていたら・・・」と思うことの数々。それが誰かの参考になればと願いこのサイトを作りました。
 (『隻手の小音声/医療編』より転載)
◆脳卒中になって5年目の「発病記念日(8/22)」に『隻手の小音声』のリニューアルを決心し、ようやくこの『ニキトの脳卒中』の公開に至りました。闘病記たる旧版の重たさと暗さを払拭するように勤めたつもりですがいかがでしょうか?
 発病後五年目に入り、医師からはリハビリの打ち切りを告げられ、社会復帰は遠い夢です。気が付けば間もなく還暦。定年退職する年齢です。ジタバタすることもないだろうと思う今日この頃です。
( 平成16年09月吉日)
壊れたPC◆リニューアルを契機にと、某メーカーのアウトレットで購入したパソコンが、届いて2時間もしないで故障しました。「これも試練か!」とすぐにフリーズしてしまう古いパソコンで薄氷を踏む思いをしながらこのサイトを作成しました。ニキトの人生にはどこまでも不運が付きまとうようですが、「決して負けない。諦めない」と彼は叫びます。
ニキトの目標
◆「勉学する卒中患者」で「発言する障害者」を目指すニキトにとって、書きたいことは尽きません。エピソードは順次追加し更新します。旧サイトを見た友人の感想は「**みたい!」。**は毒舌が売り物のTVタレント。ニキトには特定の個人を誹謗中傷するつもりはありません、が世のため他人のため言いたいことは言うつもりです。
◆聞いていると「病気になったオマエが悪い」と言われているような専門用語を羅列して自己弁護するプロ(専門職)がいる。言い包められないためには、こちらもそれなりの勉強が必要だ。図書館は数多の本があるし、インターネットには最先端の知識がある。脳卒中やリハビリなど自分に関係する分野だけの勉強はしておきたいものだ。
エリートたちの自己保身術は明治時代から今日まで「知ラシムベカラズ、依ラシムベシ」だ。情報公開は無知蒙昧な我々を混乱させるだけだと彼らは不遜にも思い込んでいる。
プロ(専門職)に対して我々クライアント(依頼者)は多数の希望や条件を提示する。真のプロならそれを100%実現させて当たり前、120%かなえて感謝の念も生まれるのだ。それを、初手から「不可能宣言」されてはたまらない。不勉強、無能力、不遜、傲慢、職務怠慢と言いたい。そんな輩をプロとは認めがたい。努力しない若者と知恵を絞らない人をニキトは最も嫌う。
◆古い話だが、ニキトがサラリーマンを辞めてフリーになった頃、或る会社経由で中東某国の外交官私邸のインテリアの仕事が入った。打ち合わせでは、既製品では賄えない家具が一つだけあった。クライアントの外交官は、その家具に関して次々に条件(希望)を出してきた。それを受けてニキトは「それは不可能です。現代の技術と材料では作れません」と断った。日本人のクライアントなら「そうですか」と諦めるのだが、外国人で外交官のクライアントは「私が条件を出すのはクライアントの権利だ。(実現する)努力もしないで、この場で不可能だと言うあなたはそれでもプロか?」とやり込められた。(ニキトの英語力では以上のようなやり取りと理解したがもしかするともっと厳しいことを言われたかも知れない)
悔しさでいっぱいのニキトは、帰ってから全力でこの課題に取り組み知恵を絞って「現代の技術と材料で作れる」方法を発見、図面にした。クライアントが何かの理由(政変?)で急遽帰国したためこの件はお金にはならなかったが、「プロの定義」という報酬を得られたケースだった。
◆「もう歩けない」と宣言された患者が病院を変えたら歩けたという話をよく聞く。動かないと言われた手が動くようになったのは患者自身が創意工夫したリハビリのおかげだったとの体験記もある。
プロは何をしているのか?自己研鑽を忘れてはいないだろうか?年に1回は各分野の学会が開かれている。全国の担当者は交代で物見遊山気分でに出張・参加するらしい。彼らはそこで発表された研究結果を「レアケース(特殊事例)」と捉えて、日々の仕事に反映しようとはしないようだ。
私が作っています

私の横顔

出水 日木人(イズミ ニキト) 
さそり座、B型、妻子なし。関東Y市在住。
2級身体障害者。介護保険2号・要介護1
・1944年東北Y市生まれ。
・1968年M大造形学部卒業後、製造業数社で商品開発に従事。
・1985年に脱サラしフリーになるも、1999年脳出血で入院。
・2000年リハ病院を退院し現在にいたる

メールアイコンメールはこちらへ このサイトへのご意見ご感想をお寄せください。
このサイトはリンクフリーですが、コンテンツの部分的転載はご遠慮ください。
▲トップページへ